【日記】綺麗なものと汚れたもの

 

時々、純度の高い綺麗な心を持った人に出会うことがある。

 

物事を真っ直ぐに見つめる姿勢と眼差し。

全てのことを穿った角度で捉える私には考えられない。

 

そんな人を目の当たりにした時、

私は卑屈になったり僻む気持ちには全くならない。

 

なぜか涙が出てくるのだ。

 

どうしてこんなどうしようもない世の中で

悔しい気持ちや不条理な思いだってたくさんしてきたはずなのに

どうしてこうも美しくいられるのだろう。

 

もはや”そうなりたい””そうありたい”と思うには

生まれも育ちも思考の癖も軌道修正するには手遅れすぎるのだが

 

そういう人を目の当たりにした瞬間、

私の汚い部分が浄化される不思議な感覚がある。

 

 

そんなことを、学生時代お世話になった先生のFacebookに上がった家族写真を見て思ったのである。

 

 

その一方で、世の中の汚い部分を吸い尽くしたような人にも憧れやリスペクトを持っている。

こっちの方が目指せるポテンシャルはあるだろう。

業界の人とばかり飲んでないで、もう少しアンダーグラウンドの世界との関わりを増やさなければ。

 

そんなことを漢 a.k.a GAMIとD.Oの料理チャンネルを見て思ったのである。