【日記】カレーは冷めた方が美味い説

 

カレーは冷めた方が美味い。

そんなことに何故今まで気づかなかったのか。

 

私にとってこの気づきは自己破壊、そして小さな革命であった。

 

私は先日、職場でカレー談義に花を咲かせていた。

(最近はすぐ好きな食べ物とコナンの話をしてしまう。)

 

そしてある先輩がふとこう言った。

 

「僕、カレーは冷めてても好きなんですよ。

米はなんなら冷飯でもいい。その方が美味いんですよ。」

 

 

私はハッとした。

そしてそんな話をしている最中、デリバリーで届いた熱々ではないオーベルジーヌを頬張りながらその言葉と一緒に噛み締めた。

 

絶対に米が冷めてる方が美味いじゃないか……

 

そんなこと本当は自分だってとっくにわかっていたのではないだろうか。

私は全ての飯に対して「出来立てがうまい」という固定概念に縛られ過ぎていたのではないだろうか。

人生の走馬灯が駆け巡った。

 

熱々の米と、熱々のカレーを食べると熱過ぎてイライラする時すらあったじゃないか。

なぜそんな自分に気づかず「出来立てが正義」だと信じてやまなかったのだろうか。

 

2日目のカレーが美味いのは、味が染みているからとかそういうことではなく

炊き立てじゃない米と一緒に食べてたからじゃないだろうか!!!

 

私は目から鱗だった。

 

私はそして今日カレーを作った。

この私の中で起こった小さな革命を再認識すべく、

米を冷ましてからカレーを口に運んだ。

 

 

これだ…

 

 

私とカレーの未来は明るい。

 

【不登校日記vol.1】幼少期

 

私はまともに学校に通った記憶が、

小学校の3-4年生と高校・大学の4年間しかない。

 

それでも今は激務と言われる広告業界でCMディレクターとして働いている。

 

 

本格的に不登校となったのは小学校5年生からではあるが、

終始「学校」というものにうまく適応できなかった。

 

それがなぜだったのか、未だに一言では言い表せない。

「なぜ学校に行けないの?」と聞かれるのが何よりもストレスだった。

 

だって、私もわからないから。

私が一番教えて欲しかった。

 

 

当時は真っ暗闇のトンネルの中を這っている感覚だった。

 

周りのいろんな人たちが私を少しずつ少しずつ前に押してくれて

気づけば光の当たる場所で地に足つけて立っていたような

そんな人生だったのである。

 

ただその経験は今となればとてもポジティブなものだったと感じている。

 

 

初めて「行きたくない」という感情が芽生えたのは幼稚園の時だった。

 

園についたら泣き喚いたり、

トイレに引きこもって幼稚園バスを逃したり、

「お腹が痛い」と嘘をついて幼稚園バスの快適な席に座ったり、

挙げ句の果てには母が前かごに乗せて登園しようとすると前かごから飛び降りたり。

 

とんでもない幼稚園生だったと思う。

 

行ったら行ったで幼稚園生の範囲内で遊べる遊びは全部やった。

おままごと、縄跳び、鉄棒、プール、かけっこ、

お正月にはコマを回すのが楽しみだった。

 

イベントも好きだった。

運動会は活躍するし、お遊戯会もセンター張ってザ☆ピースを踊り狂っていた。

 

ただ運動会が終わった瞬間私は母にこう言ったらしい。

 

「明日から幼稚園は行かない。もう役目は終わったから。」

 

そしてお遊戯会という次のイベントを見つけた瞬間、再び幼稚園に生き生きと通い出す。

 

 

このエピソードを聞くと、先天的に世の中を舐めていただけかもしれない。

そんなことを思って嫌になるのだ。

 

【日記】綺麗なものと汚れたもの

 

時々、純度の高い綺麗な心を持った人に出会うことがある。

 

物事を真っ直ぐに見つめる姿勢と眼差し。

全てのことを穿った角度で捉える私には考えられない。

 

そんな人を目の当たりにした時、

私は卑屈になったり僻む気持ちには全くならない。

 

なぜか涙が出てくるのだ。

 

どうしてこんなどうしようもない世の中で

悔しい気持ちや不条理な思いだってたくさんしてきたはずなのに

どうしてこうも美しくいられるのだろう。

 

もはや”そうなりたい””そうありたい”と思うには

生まれも育ちも思考の癖も軌道修正するには手遅れすぎるのだが

 

そういう人を目の当たりにした瞬間、

私の汚い部分が浄化される不思議な感覚がある。

 

 

そんなことを、学生時代お世話になった先生のFacebookに上がった家族写真を見て思ったのである。

 

 

その一方で、世の中の汚い部分を吸い尽くしたような人にも憧れやリスペクトを持っている。

こっちの方が目指せるポテンシャルはあるだろう。

業界の人とばかり飲んでないで、もう少しアンダーグラウンドの世界との関わりを増やさなければ。

 

そんなことを漢 a.k.a GAMIとD.Oの料理チャンネルを見て思ったのである。

 

【日記】ハロプロの魅力を言語化してみる

 

今日は尊敬し、信頼する部長・上司2人と、高円寺の沖縄料理屋で飲んだ。

 

トークテーマは仕事の話が主だが、

政治とハロプロ(アイドルの定義)の話で盛り上がった。

 

私の部長はハロプロオタクの大先輩であり

もう一人の上司はハロプロに関してはノータッチ。

 

その際、”ハロプロの何が魅力か”と聞かれると毎回言葉に詰まるのだが、

ステージ上でのパフォーマンスへのクオリティは大前提とし、

 

・グループの魂をリーダーが受け継いでいく伝統

・最初はパッとしない少女がみるみると成長していく物語性

・誰かが卒業すると別の誰かが覚醒し輝く現象

 

大きくはこの3つに私は魅力を感じていることを拙い説明で伝えた。

 

 

今日部長から教えてもらった、

熱狂的なハロプロオタクであり、女優の松岡茉優の名言がブチ刺さった。

 

「私たち女優は線香花火。アイドルは打ち上げ花火。」

 

自らの職業、女優との対比で言い表すところが乙だなと私は思うのだが、

私たちは青春時代を捧げる彼女たちの爆発力、刹那的なものを目撃している。

いや、目撃させていただいている。

 

この言葉を抱きしめながら寝床に着く。

 

ハロープロジェクト最高。

【はじめに】誰も読まないでください

 

ブログをなんとなく始めた二つの理由。

 

一つは長い文章を書きたいなと思ったこと。

自分のこんがらがった考えを吐き出したいなと。

 

一つはいつもの事ながらインスタのストーリーを流し見していて

ふと、「あれ、窮屈だな」

と思う自分に気づいたこと。

 

投稿するときは

色んな面白いと感じたことがあっても

いや、誰も興味ないだろうと余計な思考が巡って引っ込めてしまうし、

前は他人の生活や日常に興味があったのにさほど興味も無くなって。

歳を取ったのかな。

 

という感じでゆるりと

書きたいときに

書きたいことを

書いていきたいなと思います。

 

誰も読まなくていいです。

てか読まないでください。